
ウィッシュボーン・アッシュ/百眼の巨人アーガス』 (はじめに)個人的な事情により更新まで9ヶ月を要してしまった事を深
くお詫び申し上げます。 今後はコンスタントな更新を心掛けて行きますのでよろしくお願い致しま
す。
ツイン・リード・・・今となってはその手法を用いたロックバンドが数 多く存在するが、1960年代後半においては2台のエレクトリック・ギタ ーを用いる場合、メロディーラインを奏でる"リード"とリズム・カッ ティングに徹する"サイド"に分担されるケースがほとんどであった。数 少ない例外として前回このコーナーで紹介したオールマン・ブラザーズ・ バンドがあるが、彼らはツイン・リードであった上に"ツイン・ドラム" でもあったので、ギターのみがクローズ・アップされる事はほとんどなか った。
しかし、その"ツイン・リード"を売りにしたニュー・グループがビート ルズなき後のブリティッシュ・ロック・シーンの救世主として現われる。 それが"ウィッシュボーン・アッシュ"である。 この奇妙な名を持ったグループは1966年にドラムスのスティーヴ・ アプトン、ベースのマーティン・ターナーとギターのグレン・ターナーの ターナー兄弟が結成したロック・トリオ"エンプティ・ヴェッセルズ"が 母体となっている。 1969年にはバンド名を"タングルウッド"と変えロンドンへ進出、 元ヤードバーズのキース・レルフの前座をつとめていた時に、後にマネー ジャーとなるマイルス・コープランド(ポリスのスチュワート・コープラ ンドの兄)に出会う。ちょうどその頃グレン・ターナーが健康上の理由で バンドを脱退する事になり、コープランドのすすめもあって音楽業界誌に メンバー募集の広告を出す事になる。そこで決定したのがテッド・ターナ ーとアンディ・パウエルであった。ここで初めてバンド名を"ウィッシュ ボーン・アッシュ"とし、クラブ、ディスコでのギグを中心に精力的な活 動を続けて行く。
ここで彼らに大きなチャンスが訪れる。70年初頭にディープ・パープ ルの前座をつとめた彼らは、ギタリストのリッチー・ブラックモアにいた く気に入られてしまったのだ。リッチーはプロデューサーのデレク・ロー レンスを紹介してくれ、同年夏にはめでたくMCAレコードと契約を交わ す事となる。 そして同年12月、待望のファースト・アルバム『光なき世界』がリリ ースされた。
まず目をひいたのはジャケットのアート・ワークである。一見何が写っ ているのかわからないが、これこそバンド名そのものなのだ。"Wish bone"はトリの胸骨上部の二股の骨を指し、それが見事に"Ash" =灰になっているのである。 もちろんサウンド面でも異彩を放っていた。オープニングの「光なき世 界」はブルース・フィーリング溢れるブギー・ロックであるが、この3分 40秒程度の一曲にしても間奏ではテッドとアンディのツイン・リードが 輝いている。そして圧巻はB面ラストに収録された10分を超える大作「 フェニックス」である。ブギー・ロック&ツイン・リード...このキー ワードからは想像がつきにくい作品であるが、後にアンディが音楽誌での 「ライバルは?」との問いに「EL&P、イエス、ジェネシス」といった プログレッシヴ・ロックバンドを挙げていた事からも、当時人気絶頂だっ たキング・クリムゾンの影響が少なからずあった事も想像に難くない。し かしその中でもメロディアスなツイン・リードという超個性的なアプロー チをとっていた事は、新人バンドらしからぬ力量を見せつけるのに十分す ぎるほどであった。 その個性が辛口の音楽ジャーナリストからも絶賛され、勢いのついた彼 らは翌71年、セカンド・アルバム『巡礼の旅』を発表する。
本作では大胆にもジャズ・オルガニスト、ジャック・マクダフのスキャ ット作品「よみの国へ」をオープニングに持ってくるなど更なる音楽性の 広さを見せつけ、『メロディ・メイカー誌』の年間ブライテスト・ホープ に輝いたのだ。 そして翌72年、今回紹介する不朽の名盤『百眼の巨人アーガス』を発 表する。
このアルバムに関してはいかなる誉め言葉も陳腐に思えるほど完成度が 高く、2台のギター、ベース、ドラムス、そしてヴォーカルが絡み合うさ まはまさに"ロックにおける様式美"を極めたと言っても過言ではないと 思う。 70年代前半に人気を博していたハード・ロック、プログレッシヴ・ロ ックの要素を巧みに取りいれ、それを自らの個性にまで高めてゆく能力の 高さは特筆すべきである。 それゆえ本作はイギリスをはじめとするヨーロッパ各国で大絶賛を浴び 、『メロディ・メイカー誌』の年間ベスト・アルバムに選定された。デビ ューからわずか2年余りでのこの快挙...ビートルズなき後のブリティ ッシュ・ロックシーンを支えるビッグネームとして名実ともに認められた 瞬間である。
だが、これで満足することなく進化を求める彼らは、翌73年デレク・ ローレンスの手を離れ初のセルフ・プロデュース作品『ウィッシュボーン ・フォー』を発表する。 それまでのハードさがやや影を潜め、トラディショナルな方向への回帰 を図った本作には『ビーコンのバラード』のようなこれまでにない、美し いバラードナンバーも収録されている。 そして同年末、ロック史上に残る傑作ライヴ・アルバム『ライヴ・デイ ト』の発表へと至る。
オリジナル・メンバーによる、絶頂期の名演をあますところなく伝える このアルバムではテッド・ターナーのフェンダー・ストラトキャスターと アンディ・パウエルのギブソン・フライングVが縦横無尽に絡み合い、" これぞツイン・リード!"というプレイが随所に散りばめられている。ス タジオ・アルバム、そしてライヴ・アルバムでの大成功をもってウィッシ ュボーン・アッシュの名声はゆるぎないものとなった。ファンの期待は作 品を追うごとに高まる一方である。
しかし翌74年、バンドにとって最大の危機を迎える。テッド・ターナ ーが脱退を表明してしまうのだ。新たに若手ギタリスト、ローリー・ワイ ズフィールドが加入、初のアメリカ・マイアミ録音によるアルバム『永遠 の不安』を発表する。初心に帰ったようなフレッシュな演奏は賛否両論あ ったが、躍動感溢れるインストゥルメンタル・ナンバー「F.U.B.B .」は絶品であると思う。
そして遂に75年2月、待望の初来日を果たす。その後このラインナッ プでは76、78年と計3回来日している。 生まれ変わったウィッシュボーン・アッシュはその後も快進撃を続けて くれると思ったが、75年発表の『限りなき束縛』から一気に失速してし まう。このアルバムではひたすら音が軽くなり、アメリカ進出を意識しす ぎ結果的に多くのファンから酷評を浴びてしまうのである。 76年発表の『ニュー・イングランド』ではかつての雰囲気をやや取り 戻し、「アウトワード・バウンド」のようなタイトなインストゥルメンタ ル・ナンバーも収録されているが、かつての栄光を取り戻すには至らなか った。 このラインナップは80年まで続き、年1枚のペースでコンスタントに アルバムを発表している。
その後はオリジナル・メンバーの相次ぐ脱退、再加入を繰り返し、91 年にはテッド・ターナーとアンディ・パウエルのツイン・リードで4度目 の来日を果たしている。 バンドは2001年現在も続いているが、アンディ・パウエル以外はみ な若手のミュージシャンで、かつてウィッシュボーン・アッシュの大ファ ンだったというメンバーがバンドを支えているのだ。 絶頂期の音に馴染んでいる(もちろん後追いであろうが)メンバーが伝 統を守ろうとしてくれているから、今でもライヴで当時に近い音を再現出 来るのであろう。
来年で発表より30年が経過する『百眼の巨人アーガス』...不滅の ツイン・リードの響きをぜひレ・コード館のオールホーン・スピーカーで 堪能していただきたい。 (中野 亮)