ナッキーのこれだけは聴こう!

The Band


 "ザ・バンド"……名は体をあらわすというが、これほどまでに単純明解でカッコイイネーミングはないであろう。言うなれば、自分たちはすべての"バンド"の頂点を目指しているととれなくもないが、そこから生み出されるサウンドは気負いが全くなく、ナチュラルで人々の心を和ませるとても温かいものである。頂点を目指さなくとも周囲がロック史上"頂点"のグループに属すると認めてくれているのだ。現に1970年代初頭に発売された日本盤アルバムのライナーには"ビートルズ、ストーンズに続く大型グループ…"とのキャッチフレーズが使われていたほどである。それほどに期待が大きく、またその期待に応えるべく次々とクオリティーの高い作品を発表してくれた。
 曲によってさまざまな楽器をこなす不動のメンバー(ロビー・ロバートソン…ギター、リック・ダンコ…ベース、レヴォン・ヘルム…ドラムス、ガース・ハドソン…オルガン、リチャード・マニュエル…ピアノ)はもともとR&Bシンガー、ロニー・ホーキンスのバック・バンド"ホークス"のメンバーであった。1965年にバンドは独立、その後"クラッカーズ"と名乗りボブ・ディランのバックをつとめるようになる。
 66年にディランがモーターバイクの事故で休養のためウッドストックへ移住すると、メンバーもそれに同行し2年後には"ザ・バンド"と名乗り『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』でキャピトルより待望のデビューを果たす。
 カナダからアメリカ南部、そしてウッドストックへと移り住んだ彼らにはさまざまな音楽のエッセンスが内包されており、その中でも特に"ドロ臭さ"が存分に発揮された本作は当時"カントリー・ロック"の傑作と捉えられていたが、それ以外のファンにも幅広く支持され各方面で絶賛された。
 翌年発表されたセカンド・アルバム『ザ・バンド』は前作同様スタジオ録音ではなく(ファーストの『ビッグ・ピンク』とはレコーディングに使われた"大きなピンク色の家"のことである)、ハリウッドの元サミー・デイヴィス・ジュニア邸を借り切って曲を作りながらレコーディングした作品である。前作の路線を踏襲しつつも、更に幅広い音楽性が発揮された本作は大ヒット・アルバムとなりついに全米トップ10入りを果たしたのだ。
 一躍トップ・バンドとなった彼らは次作『ステージ・フライト』を聴衆抜きのコンサート・ホールで録音、前2作にもましてシンプルな音づくりは早くも"原点回帰"を目指したようにも感じられ、次は何か違ったことを仕掛けてくるかとの期待を持たされた。
 案の定、71年発表の『カフーツ』では初のスタジオ・レコーディングを試み、ホーン・セクションの多用などサウンドに厚みを増しこれまでになくR&B寄りの楽曲が多くなる。  さらに翌年には初のライヴ・アルバム『ロック・オブ・エイジズ(イン・コンサート)』をLP2枚組でリリース、ますますその色を強めた。
 実はそれには伏線がある。『ステージ・フライト』発表の頃、グレイトフル・デッドのジェリー・ガルシアが当時急速に人気を集めていたザ・バンドを評して「彼らは素晴らしいカントリー・ロック・プレイヤーだ。まさに"これぞカントリー・ロック"と呼ぶにふさわしいサウンドを表現できるのは、体じゅうにそのルーツがしみ込んでいるからだろう。」と語っていた。
 それに対しロビー・ロバートソンは「僕らの音楽はロックン・ロール、R&Bそのものだよ。骨の髄までそのサウンドがしみついているんだ」と全く逆のことを語ったのである。  確かにジェリー・ガルシアの指摘はそれまでの作品群からすれば妥当であるし、ロビー・ロバートソンもかつてはロニー・ホーキンスのバックからスタートしているので偽らざる胸の内を明かしたのであろう。
 その"答え"というべきものを『カフーツ』『ロック・オブ・エイジズ』で徐々に出しつつあったが、ついにはっきりとした答えとなるべき作品が登場する。それが今回紹介する73年発表の『ムーンドッグ・マチネー』である。
 何が答えかというと、このアルバムはすべて50〜60年代初頭のR&Bのカヴァーで構成されているのだ。クラレンス"フログマン"ヘンリーの「流れ者」、チャック・ベリーの「ザ・プロミスト・ランド」、さらにジャンルは違うがアントン・カラスの「第三の男」まで演っている。
 自らのルーツを明確にアピールした本作は一部のファンからは絶賛されたが、それ以上に"ザ・バンド=カントリー・ロック"のイメージを抱いていたファンも相変わらず多かったため否定的に受け止められたのも事実である。
 実は私がザ・バンドをリアルタイムで聴き始めたのは本作からである。それもある"まちがい"がもとで…。
 当時中2だった私は小6の弟に「T・REX(70年代前半大人気だったイギリスのグラム・ロック・バンド)のニュー・シングルを買ってきてくれ」と500円を手渡した。弟は近所の老夫婦が経営する電気店兼業のレコード店へ行きその旨を伝えたところ、手にしてきたのは何とザ・バンドの「流れ者」だったのだ!
 レコード会社が一緒(東芝EMI)で発売日が近かったため渡し間違えたのか(当時のレコード店はアーティスト別の仕切板を使っているところは少なく、メーカー別、たとえば「歌謡曲(ビクター)」「洋楽ロック(ワーナー・パイオニア)」といった分類が大半であった)真相は今もって謎であるが、とりあえず一度聴いてから自分で取替えに行こうと針を落とした。私にも当時"ザ・バンド=ドロ臭いカントリー・ロック"のイメージがインプットされており、ハード・ロック、グラム・ロック系が好きだった身としてはあまり興味はなかったのだが…。
 ところが、スピーカ―から流れてきたのは意外にもハッピーなR&Bであった。「へえ、こんな音楽も演るんだ」との驚きと同時にさまざまなスタイルで演奏するこのバンドに対して興味がふつふつとわき始め、次のお年玉でLP『ムーンドッグ・マチネー』を買うことにした。今から26年前、当時の中学生にLP(1枚2200円程度)を買う小遣いなど普段貰えるはずもなく、お正月、誕生日、そしてクリスマスなどにLPを買ってもらえるのがとても楽しみであった。それゆえ、本作は個人的にも大変思い出深い作品である。
 余談だが、私個人の見解としてはこの「流れ者」の行きつく先は、翌年ボブ・ディランとのリユニオンを経て75年に発表したアルバム『南十字星』に収録の「ホーボー・ジャングル(浮浪者のたまり場)」であると考えている。『南十字星』はカントリー、R&B、ロックン・ロールのエッセンスが凝縮され、それらが昇華しきって作り上げられた彼らの集大成的最高傑作である。
 しかし、最高傑作の次に待ちうけているもの…それは幾多のバンドがほとんど例外なく辿って来た道…解散である。豪華ゲストを多数迎えて行われた76年の解散コンサート『ラスト・ワルツ』を経て、77年発表の『アイランド』をもって正式に解散へと至る。
 その後83年にロビー・ロバートソン抜きで復活、レコーディングこそ行わないものの全米各地でのツアーを開始した。
 ザ・バンドの歴史の中には2つの大きな悲劇が存在する。
 ひとつは86年のリチャード・マニュエルの自殺である。多くのファン、メンバーたちに大きなショックを与えたこの事件をきっかけに、解散から10年経った87年、ついにロビー・ロバートソンが重い腰を上げソロ・アルバムを発表した。「堕ちたエンジェル」という追悼曲が収められている本作は、U2、ピーター・ガブリエル等豪華なゲストを迎え現代的なサウンドを披露しているが、やはり全体的に"リチャード・マニュエル・トリビュート"と受け取れる内容に悲しみを新たにしたファンも多かったであろう。
 93年には15年ぶりにザ・バンド名義でアルバム『ジェリコ〜新たなる伝説』を発表、続いて96年に『ハイ・オン・ザ・ホッグ』、そして98年にはデビュー30周年記念アルバム『Jubilation』(日本盤未発売)をエリック・クラプトン等多彩なゲストを迎えて発表、2000年に向けて新生ザ・バンドの精力的な活動が期待されていた矢先、ふたつめの大きな悲劇が待ち構えていた。
 "核"となっていたリック・ダンコが99年12月10日ウッドストックの自宅で眠りながら息を引き取ったのだ。妻の話では安らかな死に顔だったというが56歳の誕生日の翌日に亡くなるとは…。12月15日にはロビー・ロバートソンはじめ多くの友人、ファンが集まり追悼式が開催されたが、残されたレヴォン・ヘルム、ガース・ハドソンが今後"ザ・バンド"を存続させるかどうかは今のところわかっていない。何とかまた新しい伝説を作り上げて欲しいものである。
 そして、一歩離れたスタンスで"ザ・バンド"をいつも優しく見守っているロビー・ロバートソンの今後の動向にも注目して行きたい。 (中野 亮)