ナッキーのこれだけは聴こう!

Queen


 1970年代中盤は、ロックがマニアックなファンからより一般的な音楽ファンへと層をどんどん広げていった時期である。
 その中でもキッス、エアロスミスと並び、当時日本で絶大なる人気を得ていたバンド・・・クイーンである。
 この3グループは俗に“御三家”と呼ばれ、中でもクイーンの人気は日本ではダントツで、他の2グループと大きく異なるところは、まず日本で火がつき、その次に本国(イギリス)、そしてアメリカと広がっていった点である。
 キッス、エアロスミスも日本ではファンも多く、かなりの人気を誇っていたが、本国(アメリカ)での人気と比べるとやはりもの足りなかった。日本から火がついた例は後のジャパン、ボン・ジョヴィといったところにも受け継げられる。
 日本のロック・ファンの先を見る目が確かであることを証明しはじめた時期であった。
 デビュー当初からブライアン・メイのギター、フレディ・マーキュリーのヴォーカルは強烈な個性を放っていたが、そのインパクトの強さから評論家からはかなり辛らつな意見が多かった。
まず日本で人気が火がついたのはサード・アルバム「シアー・ハート・アタック」からカットされた「キラー・クイーン」で、いかにも日本人受けしそうな哀愁のあるメロディにのせてフレディ・マーキュリーがせつせつと歌い上げ、ブライアン・メイのギターが効果的にフィーチャーされている。この曲はその後イギリス、アメリカでもそこそこのヒットを記録する。これで終わってしまえばただの“一発屋”であるが、次のアルバム「オペラ座の夜」はガラっとイメージを変えクイーンの持つ音楽的スケールの大きさを十二分に発揮したロック史上に残る名盤となった。特にシングル・カットされた「ボヘミアン・ラプソディ」は一曲の中にしっかりとストーリー性を持たせた名曲である。
 しかし、これがクイーンのすべての姿ではない。次作以降はさまざまなスタイルにトライしては成功を収め、何とロカビリー・サウンドを基調にしたアルバム「ザ・ゲーム」からカットされた「愛という名の欲望」はアルバムと共に全米チャートNO.1を初めて獲得する。しかしこれが彼らのピークであったように思う。
 以後各々のソロ活動が始まり、ややグループとしてのまとまりに欠けはじめたころにリリースされたアルバム「ホット・スペース」はディスコ・サウンドにトライして面白い作品ではあったが一部から酷評された。
 その後のアルバムも音楽的完成度は非常に高く、いつか彼らの音楽が再評価されると期待された矢先、フレディ・マーキュリーがエイズで他界してしまいグループ活動に終止符を打つ。ラストアルバムとなった「イニュエンドゥ」は名曲揃いで“再びクイーンの時代か!”と大きな期待を抱いていたファンはさぞ無念であったろう。
 私の高校時代(1975〜77年)は「ボヘミアン・ラプソディ」が上手に演奏出来るかどうかがアマチュア・バンドの力量を見るひとつのものさしとなっていた。フレディ死すともクイーンは永遠に死なず!ぜひ若いロックファンにもクイーンの名曲の数々を聴いてもらいたい。
 今のグループとは違う“何か”が見つかるはずだから・・・。
(中野 亮)