
アメリカ南部はすべてのポピュラー・ミュージックのルーツである…といっても過言ではないであろう。ブルース、カントリー、ロックン・ロール、ジャズ、ゴスペルetc…あらゆる音楽が南部を発祥の地としている。
ロックのフィールドに目を向けると、ロックン・ロールの元祖エルヴィス・プレスリーがメンフィスの出身である。その後ロックン・ロールはアメリカ全土、果ては海を越えイギリスを中心としたヨーロッパ各国にも飛び火し、それらのエッセンスを巧みに取り入れたビートルズの出現により全世界で人気を博す事となる。
1960年代中盤まではビートルズ、ローリング・ストーンズを中心としたイギリス勢、ジェファーソン・エアプレイン、グレイトフル・デッドから急成長したアメリカ西海岸勢にパワーがあり、南部のロッカーたちはあまり話題にのぼることはなかった。
ビートルズのパワーにかげりが見え始め、サイケデリック・ブームも一段落した69年頃からは南部にも徐々にスポットが当たり始めた。オールマン・ブラザーズ・バンドがデビューを飾ったのはまさにその年である。
ファースト・アルバム『オールマン・ブラザーズ・バンド』はツイン・リード、ツイン・ドラムスという斬新な編成で注目を浴びたが、大ヒットには至らなかった。
しかしこの頃マイアミで彼らのステージを見たエリック・クラプトンがデュアン・オールマンのギター・プレイに釘付けとなり、すぐさま彼をクリーム解散後のニュー・グループのレコーディングへと招き入れた。これが歴史的名盤、デレク&ドミノスの『レイラ』であったことは言うまでもない。
翌年発表されたセカンド・アルバム『アイドルワイルド・サウス』にはコンサートでの18番「エリザベス・リードへの追憶」と、シングル・ヒットした「リヴァイヴァル」が収録され、全米38位を記録する彼ら初の大ヒットとなった。
勢いに乗った彼らは翌年2枚組LP『フィルモア・イースト・ライヴ』を発表、そのライヴ・パフォーマンスの高さは各方面から絶賛され全米13位を記録、初のゴールド・ディスクも獲得している。
しかし、その直後に第1の悲劇が訪れた。デュアンがバイク事故により24歳の若さで他界してしまうのだ。制作途中だったアルバム『イート・ア・ピーチ』はデュアンの遺作となってしまったが、残りのギター・パートをもうひとりのリード・ギタリスト、ディッキー・ベッツが完成させた。前作に続き2枚組となったが、全米4位を記録し更なる大ヒットとなった。
さらに翌年第2の悲劇が訪れる。ベーシストのベリー・オークリーがデュアンと同じくバイク事故で他界、それも事故現場が至近距離であったという事にとても因縁めいたものを感じる。
しかし彼らは数週間の休みを取った後すぐに復帰、ツアー&ニュー・アルバムの制作に早速取りかかる。新作の発表を翌月に控えた73年7月、彼らはザ・バンド、グレイトフル・デッドらとワトキンス・グレン・フェスティヴァルに出演、3つのビッグ・ネームが勢ぞろいしたこのコンサートでは何とウッドストックをしのぐ60万人を動員、新生オールマンズのパワーをまざまざと見せつけてくれた。
そして8月、今回紹介する全米NO.1アルバム『ブラザーズ&シスターズ』が発表された。
デュアン亡き後、ギター・パートはディッキーが孤軍奮闘していたが、本作ではシングルカットされ全米2位まで上昇した「ランブリン・マン」、同65位の「ジェシカ」の2曲で弱冠16歳のギタリスト、レス・デューデックが参加している。
このレス・デューデックは、その後ボズ・スキャッグスのアルバム『シルク・ディグリーズ』に参加、渋みとパワーを併せ持ったスタイルでアルバムの大ヒットに大きく貢献した。
ほぼ同時期にボズのプロデュースによるファースト・ソロアルバム『レス・デューデック』を発表、ジェフ・ポーカロ、デビッド・フォスター、トム・スコットら豪華メンバーを従えながらも生き生きとしたギター&ヴォーカルを聴かせてくれる。
ボズがこれほど入れ込んだのは、彼にデュアンの影を大きく感じていたのであろう。ボズのソロ・デビューはデュアンとの共作であった。
その後レスは77、78、80、81年とコンスタントにアルバムをリリースするが、以降しばらくはスティーヴィー・ニックス、スティーヴ・ミラー・バンドらのレコーディング・セッションに専念、94年に何と13年ぶりのソロ・アルバム『Deeper Shades of Blues』を発表、以前にも増してパワフルなサウンドで健在ぶりを示した。
話をオールマンズに戻すと、実はこの頃からバンドとしてのまとまりがなくなりつつあった。ディッキーやグレッグ・オールマンがソロ活動を始めたのが大きな原因であろう。
75年発表の『ウィン・ルーズ・オア・ドロウ』は全米5位を記録するが、完成度が今ひとつでバンドの先行きに不安が見え隠れしていた。
案の定、翌年ドラッグ問題でグレックが孤立したのが決定打となり、解散へと至る。
過去のベスト・テイクを集めたライヴ・アルバム『熱風』を発表した後、メンバーはグレイト・サザン、シー・レヴェルへと分散するが、いずれも商業的成功を収めることが出来ず79年オールマンズは突如として復活、『いま、再び…』を発表する。
この作品は全米9位まで上昇、さてこれから…と思われていた矢先、長年在籍したキャプリコーン・レコードが倒産してしまう。実際オールマンズで持っていた会社だったので彼らのブランクが倒産の引き金になったことは想像に難くない。
翌年アリスタに移籍、『リーチ・フォー・ザ・スカイ』『ブラザーズ・オブ・ザ・ロード』の2枚のアルバムを発表するが、既に往年のパワーはなく、程なく解散してしまう。
彼らが"伝説のバンド"になりかけていた89年、初期のプロデューサー、トム・ダウトを迎えて再び復活、エピックよりアルバム『セヴン・ターンズ』を発表、原点に帰ったかのようなサウンドは大喝采を浴びた。
そして91年、ビーチ・ボーイズ、CS&N、ロリー・ギャラガー、レーナード・スキナード、ウィッシュボーン・アッシュ、そしてジョージ・ハリスンといった懐かしのビッグネームの来日が相次いだ年に、ついにオールマンズが初来日を果たしてくれた。待ち焦がれてい(中野 亮)