ナッキーのこれだけは聴こう!

George Harrison


 「ええっ!ジョンの次はジョージが…。」
  1980年12月にジョン・レノンが凶弾に倒れ、その19年後にジョージまでもが襲われるとは誰が予想したであろうか。幸いにも一命は取りとめたが、全世界のファンにとっては背筋が凍りつき、怒りと悲しみでいっぱいとなった事件であった。
 ジョージにとっては肉体的にはもちろん、精神的ダメージも想像を絶するものがあったであろう。一日も早い回復を心から願いたい。

 70年代の音楽シーンは「ビートルズの解散」というロック史上最も悲しいニュースで幕を明けた。その2年ほど前、『ホワイト・アルバム』の頃から"個"の部分が作品群の中にあからさまに出るようになり、「長いことないな…」と感じたファンも多かったはずであるが、いざ現実となるとやはりこの上ない寂しさを覚えたものである。
 果たして解散後、各自どのような活動を続けて行くのか…以前からジョンはオノ・ヨーコと共にアルバム制作を行なっていたし(これが解散の遠因、いや直接の原因であるかもしれない)、リンゴ・スターは昔から好きだったスタンダード&カントリー・アルバムの制作に取りかかっていた。解散を宣言した張本人ポール・マッカートニーも、すべてのしがらみから解き放たれたかのようにアット・ホームなアルバムを自らの全パート演奏で制作、素の自分をさらけ出した。さてジョージは?

 アッと驚くLP3枚組を70年11月にリリースした。それが今回紹介する『オール・シングス・マスト・パス』である。
 ビートルズ時代からギタリスト、シンガー、コンポーザーとしての評価は非常に高いものがあったが、自らそれを前面に押し出すことは決してなかった。
 そのジョージが初めてともいえる"自己主張"をこのアルバムで繰り広げているのである。さて、その成果は?
 他メンバーのソロをさしおき、全英、全米で7週にわたって堂々のNo.1となった。それは針を落としてみると納得。
 ジョージとフィル・スペクターの共同プロデュースによる本作は、スペクターの専売特許である「ウォール・オブ・サウンド」といわれる重厚な音づくりが基本となっているが、その特徴をうまく利用してジョージの個性を十二分に引き出しているのだ。
 エリック・クラプトン、リンゴ・スター、デイヴ・メイスンをはじめとする豪華メンバーによるサポートも非常に聴き応えがある。
 1曲目の「アイド・ハヴ・ユー・エニイタイム」(ボブ・ディランとの共作)に針を落としてみると、肩の力がすっかり抜け、すべてのしがらみから解き放たれたジョージの心情が察せられる。それは、新たなる第一歩を踏み出そうとする決意の表れでもあろう。
 3枚組のうち2枚がオリジナルで、シングル・ヒットした「マイ・スウィート・ロード」「美しき人生」の他にもバラエティーに富んだ"スペクター・サウンド"を存分に堪能することが出来る。
 残り1枚は「アップル・ジャム」と呼ばれるオールスター・セッションで、へヴィー&ハード・ロックあり、ロックン・ロールありとビートルズ時代には成し得なかった試みをいきいきと行っている。特に「プラグ・ミー・イン」で聴かれるクラプトン、デイヴ・メイスン、ジョージのギター・バトルは絶品である。

 本作の大成功で気をよくしたのか、翌年以降はさらに活動の幅を広げ、71年にはクラプトン、リンゴ、レオン・ラッセルらと共に「バングラデシュ難民救済コンサート」をマジソン・スクエア・ガーデンで行ない、LP3枚組で発表されたライヴ・アルバムも世界中で大ヒットを記録した。
 72年にはゲイリー・ライト、ハリー・ニルソン、ビリー・プレストンらのレコーディング・セッションに参加、相変わらずの精力的活動を続けていた。

 そして73年には『オール・シングス・〜』と並んで名盤の誉れ高い『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』を発表する。
 本作はそれまで全米No.1に君臨していたポール・マッカートニー&ウィングスの『レッド・ローズ・スピードウェイ』を抜き去り、以後5週連続No.1を記録した。
 当初、前作同様フィル・スペクターとの共同プロデュースで制作する予定であったが、スペクターの身辺でトラブルが相次ぎ、結果的にほとんどがジョージのセルフ・プロデュースとなった。唯一のシングル・カットで全米NO.1に輝いた「ギヴ・ミー・ラヴ」をはじめ優しさにあふれた名作ぞろいであるが、宗教的な要素が歌詞の中に色濃く見え隠れする1枚ともいえる。

 翌年自らのレーベル「ダーク・ホース」を設立、アルバム『ダーク・ホース』を発表するが、さまざまなトラブル(愛妻を親友のクラプトンにとられるなど)の影響もあり、宗教的色彩の強さとあいまって全体的に重く、鬱積したものが作品全体を支配している。
 シングル・カットされた「ディン・ドン」を76年に発表したベスト・アルバムに収録しなかったのも、納得のいかない作品であったと認めたからであろうか。代りに本作からはタイトル・チューンの「ダーク・ホース」が収録されている。

 気分を一新し、75年に発表された『ジョージ・ハリスン帝国』はシングル・カットの「二人はアイ・ラヴ・ユー」に代表されるような甘いポップ・チューンが多いが、無理に明るくふるまっている感が否めず、セールス面での低迷(特にイギリスでは)は相変わらず続いた。

 ついにジョージは、長年住みなれたEMIとの離別を決意、レーベルごとワーナー・ブラザーズへと移籍する。
 76年、33才の時に発表された『33 1/3』は迷いが吹っ切れたジョージの姿がハッキリと映し出された力作である。シングル・カットの「ジス・ソング」はこれまでにないほど明るくさわやかな出来で、「マイ・スウィート・ロード」における盗作問題の敗訴に対して"この曲は誰の著作権も侵していない!"と声を大にして歌っている。加えて当時のシングル盤ジャケットに「The Story Behind "This Song"」と題して長々と記載されているのも興味深い。

 その後もコンスタントな活動を続けては行くが、以前ほど精力的な動きは見られず、ジョンの追悼盤として81年に発表された『想いは果てなく〜母なるイングランド』が目立った程度であった。このままずっと低迷を続けるのか…80年代中盤までの活動状況を見て一抹の寂しさを覚えたファンも多かったであろう。

 しかし、ジョージはしっかりと生きていた。
 ELOのジェフ・リンとの共同プロデュースで87年に発表された4年ぶりのオリジナル・アルバム『クラウド・ナイン』が久々の大ヒットを記録、翌年にはロイ・オービソン、ボブ・ディラン、トム・ぺティ、ジェフ・リンと覆面バンド"トラヴェリング・ウィルベリーズ"を結成、"ジョージ健在なり!"を存分にアピールしてくれた。
 『クラウド・ナイン』のジャケットに写っている、ジョージの晴れ晴れとした笑顔(サングラスをかけてはいるが)を見るのはいつ以来であろうか…『レット・イット・ビー』のジャケット以来、つまりソロになってからは初めてのような気がする。

 そして91年12月、ついに待ち焦がれていた時がやっと訪れた。
 ビートルズ時代以来、25年ぶりの来日公演を実現させてくれたのだ。
 長年苦楽を共にし、私生活では自分の妻を取られてしまった相手エリック・クラプトンと共に…。私生活のトラブルこそあれ、音楽的信念が通じ合っていればいつまでもパートナーシップを保てるものだなあと深い感銘を受けたものだった。2人で早くニュー・アルバムでも制作してもらいたい…。
 私もこの来日公演を心待ちにしていたが、ちょうど年末のかき入れ時でどうしても仕事が休めず、やむなく断念した苦い思い出がある。今もって残念だ。

 ところが、翌年『アンプラグド』で新境地を開拓、その後も大ヒットを連発しついには今年念願のB.B.キングとのジョイント・アルバムまで発表したクラプトンに比べ、ジョージのニュー・アルバムは来日公演のライヴ盤以来ピタリと止まったままである。そして冒頭に述べた卑劣極まりない事件…。
 ある情報では、アルバム制作に取りかかっているという噂もあるが、現段階ではいつ完成、発表されるのか全くつかめていない。

 ジョン、ポール、リンゴそしてジョージ…4人はソロになってからもわれわれに安らぎの歌を与え続けてくれたが、その中でもジョージは突出した存在であると思う。一日も早い回復、そしてニュー・アルバムの完成を心から願いたい。

 最後に付け加えておくが、リンゴ名義で73年に発表されたシングル「想い出のフォトグラフ」はジョージとの共作である。2人の想いが曲全体にハッキリと映し出されており、必聴の一曲である。

(中野 亮)