
1970年代中期より巻き起こったAORブーム、その多くはロックのフィールドからのアプローチであったが、ジャズ・フュージョンサイドからのアーティストも少なからず登場した。その代表格ともいえるのがマイケル・フランクスである。
1944年にカリフォルニア州サン・ディエゴで生まれた彼はUCLA、モントリオール大学で学び現代音楽の博士号を取得したほど音楽の“内面”を知り尽くしており、「いかなる音楽が人々の心を癒すのに最適であるか?」というテーマがデビューしてから貫かれている姿勢であると思われる。
73年にマイナー・レーベルよりアルバム「PREVIOUSLY UNAVAILABLE」をリリース、この当時はまだつぶやきをメロディーに乗せるという歌い方はあまりしておらず、シングル曲「CAN'T SEEM TO SHAKE THIS ROCK'N'ROLL」ではブラス・ロック風サウンドを聴かせている。
これが大手レコード会社ワーナー・ブラザーズの目にとまり、75年に「アート・オブ・ティー」でメジャー・デビュー、バックにはクルセイダーズのメンバーを従え、とても洗練されたヴォーカル・スタイルが注目を集めた。
そして、彼の名を一躍高めたのが、今回紹介するセカンド・アルバム「スリーピング・ジプシー」である。バッキング・メンバーは前作と大きくは変わっていないが、敬愛するブラジル音楽の巨匠アントニオ・カルロス・ジョビンを訪ねてリオまで行き、そこで彼に捧げた「アントニオの歌」始めとして随所にボサ・ノヴァのエッセンスがちりばめられている。
この曲はマイケルの代表曲としてさまざまなアーティストにカヴァーされてきたが、なかなか満足の行く作品はなかった。しかし日本の女性ヴォーカリストUA(ウーア)が憂歌団をバックに98年に発表したヴァージョンはとても素晴らしく、マイケル本人からも絶賛されたそうである。
本作以降もヴォーカル・スタイルを変えずに新作リリースし続けたが、80年代に入りフュージョン・AORブームがさらに熱を帯びてくると、エレクトリック・サウンドを大胆に取り入れたりと変化を見せ始めた。
90年代に入るとそれまで1〜2年に1作のペースだったオリジナル・アルバムのインターバルがやや長くなり、マイケルの模索する姿が感じ取れるようになる。
そんな折、一つの大きな転機が訪れた。師と仰いでいたアントニオ・カルロス・ジョビンの死である。追悼アルバムとして95年に発表された「アバダンド・ガーデン」では「スリーピング・ジプシー」の頃を彷彿とさせるボサ・ノヴァ・サウンドを披露しており、ジョビンとの思いを歌に託すと共に過去の自分との決別をはかる姿がアルバム全体からひしひしと感じられてた。結果としてこの作品がオリジナルとしてはワーナーでのラスト・アルバムとなった。
契約の関係から98年にベスト・アルバムを発表した後、ニュー・エイジ・ミュージックの先駆者的レーベル、ウィンダム・ヒルに移籍する。長年にわたってわれわれに“癒しの音楽”を届けてくれた彼にとっては最適のレーベルであろう。
今年6月に発表された4年ぶりのオリジナル・アルバム「ベアフット・オン・ザ・ビーチ」では80〜90年代前半のサウンドに戻り、ポップでありながらも「アート・オブ・ティー」の頃から全く変わっていない美しい歌声を堪能することが出来る。
ともすれば“都会の音楽”と捉えがちな彼のサウンドは、実は都会とは無縁(完全にとは言い切れないが)の所に住み、ベジタリアンであり自然をこよなく愛する(革靴も極力履かないそうである)スタンスから発せられているがゆえに都会の人々の心を存分に癒してくれるのであろう。
殺伐とした時代に強固なまでのオリジナリティーを持ち、人々の心を癒し続けてくれるマイケル・フランクス・・・悲しいとき、そして楽しいときにもぜひ彼の音楽に耳を傾けていただきたい。昂ぶりが抑えられ、とてもすがすがしい気分になれるはずだから。
(中野 亮)