ナッキーのこれだけは聴こう!

Buddy Holly
これは当時のジャケットではありません。

 飛行機事故とは本当に恐ろしいものである。自動車事故に比べるとはるかに遭遇する確率は低いと言われているが、いったん起こってしまうとひとたまりもないものである。
 かつて前途有望、あるいは円熟の境地に達していた働き盛りのミュージシャンたちもこの不慮の事故によって多く命を落としている。グレン・ミラー、オースティス・レディング、ジム・クロウチ、坂本九、まだ記憶に新しいジョン・デンバーetc・・・しかし最も惜しまれ、将来を楽しみにされていたのは何といってもバディ・ホリーであろう。
 1936年米テキサス州ラボックに生まれた彼は20歳でデビュー、翌年自身のバンド「クリケッツ」を率いてリリースしたシングル「ザットル・ビー・ザ・デイ」が大ヒット、一躍ロックン・ロール界の大スターとなる。
 その後も「オー・ボーイ」「ペギー・スー」等の大ヒットを連発、22歳にしてロックン・ロール界のトップとして君臨し続ける・・・はずであったその時に悲劇は起きた。
 1959年2月、当時の若手スパースター、リッチー・バレンス(「ラ・バンバ」の大ヒットでおなじみ)、ビック・ボッパーらと共に乗っていたツアー用のチャーター機が墜落、パイロットを含む4人が帰らぬ人となってしまった。
 わずか2年あまりの活動期間ではあったが、ビートルズをはじめ後のアーティスト達に与えた影響は計り知れない。現にビートルズは「ザットル・ビー・ザ・デイ」「ワーズ・オブ・ラブ」等をレパートリーとしていた。
 さらに1977年アルバム「マイ・エイム・イズ・トゥルー」でデビューしたエルビス・コステロはその風貌、ヴォーカル・スタイルでデビュー当時“バディ・ホリーの再来!”と騒がれた。コステロのロックン・ロール(当時は“パンク”の一派と見られていた)一辺倒であった音楽性も徐々に丸みをおび、バディを師と仰いでいたポールマッカートニーとの共演(アルバム「フラワーズ・イン・ザ・ダート」)はとても因縁めいたものを感じる。ポールはコステロに“バディ・ホリーの影”を存分に感じていたに違いない。
 コステロはその後もポップあるいはクラシカルな方向へとシフトしていくが、もしバディ・ホリーが生きていたらこのように円熟の境地へと向かっていただろうか?それともストーンズのようにロックン・ロールし続けていただろうか?
 本当に音楽界にとって最大の損失をもたらした飛行機事故であった。
 しかし、彼の魂は死なず、いつまでもその功績は称え続けられるだろう。
 Forever Buddy!

(中野 亮)