2015.07.28
 聴覚
聴覚
や視覚などの五感にも後退現象(あえて老化とは云いたくない。)が生じている。
特に音楽を良い状態で聴きたいというときに心配なのは、聞こえにくさ
であり、これは50代の後半から始まり、75歳を過ぎると多くの高齢者が「聞こえに くい」「聞き取りにくい」など加齢による「老人性難聴」を訴えるという。
いやだ々が、自然現象だから致し方ない。
しかも、最近は同じ覚でも自覚も覚悟も衰えている。これは、困ったこ とであり、わきまえがなく心の準備が出来ないということは、社会からはみ出ることになる。それに覚えが無いといわれると、・・・症とか何らかの障害があるのか。
これらのことから醒覚するには、好きな良い音楽を心ゆくまで聴こう。
しかし、それさえ聴きたくないときもある。なんと抑圧的閉鎖的なことか。
どうせなら、良い音で聴きたいと願い金田アンプを作っているが、その音が徐々に分からなくなるとしたならば、こんな寂しいことは無い。
そうならないうちに、早く今よりもさらに良いアンプを作ろう。


ただし、アンプ本体はシンプルでも、レギュレータだらけの電源は敬遠したい。バッテリーよりは性にあっているのだが、こうなると無段階で電圧調整のできる方式にして実験用にひとつ用意するしかない。アマチュア無線でも同様のものがあった。しかし、あくまでも実験用だから表舞台には出られないが重宝する。

 錯覚
手塩にかけた機器に傾注のあまり、自己の求める音を見失って、良い音と錯覚する。つまり、実際とは異なる知覚を得てしまう現象。惚れるとアバタもエクボか。

 覚束ない(おぼつか)
音(楽)を人様に伝えるとき覚束ないのは、いつものことであり、「良いなー」といっても何がどのように良いのか。どこが良いのか。低音のバスドラの・・・云々としても、音楽の一部を切り取りして表現しただけであり、不確かであるさま、心細いさまをそのまま表現している訳だ。
 覚醒
迷いからさめること。迷いをさますこと。また、自分の非に気がつくこと。」色々な解釈があるが、私は最後の方だ。自分の非に気づくだけまだ良いとした方が良いのか?しかし、気づいていても認めるかどうかで、その先の人生は大きく変わる。人生というよりも人の途。を踏みはずか否かということだ。つまり、知っていてそれを認めないというのは全く困ったことだ。から・・・
これは、覚えが無いというレベルでは無い。
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